まばたきの間に君がいたんだ
わたしの中で折り合いをつけられたので、自担が退所したときにも書かなかったブログを書こうと思います。
はるか昔に開設したものの、使われずに化石と化していたこのブログに投稿する日が来るとは。せっかくなので脚注機能を使ってみたら、途中から本文と脚注が同一人物なのか疑うくらいキャラブレしました。脚注の使い方が合っているのかも分からない。あしからず。
そして、わたしは森田美勇人くんのおたくではないので、分かったようなことをべらべらと書き連ねると思いますが、お許しください。だらだらと長く、まとまりなく書き連ねるので途中で読むのをやめても大丈夫だよ!(のえまる)
そして、9人のTravis Japanの亡霊であり、プレゾンの亡霊であり、兄組の亡霊なので何度もワードを出すと思いますが、マウントではなく特効薬のない発作なのでお許しください。
7人のTravis Japanも大好きです。
2018年3月。
自担(今もそう呼んでいいのかは分からないが、便宜上そう呼ぶことにする*1)が事務所を辞めてから、はじめてTravis Japanをこの目でまっすぐ見ました。
ずっとずっと受け入れたら自担がTravis Japanであったことが夢になってしまいそうで怖くて、自担がいないTravis Japanを見るのが苦しくて、目を背けていました。
そのときにはもう彼は同じステージには立っていなくて、横浜アリーナの見学席に座っていた。何座ってんの!?こっち来いよ!?って公演中何度も思ったよ。彼は風邪引いてるからってマイクでしゃべりもしなかったけど。だけど、横浜アリーナのステージに立つTravis Japanを見て笑って、しめちゃんの天然に爆笑して、一緒に踊ってた。
そして、横浜アリーナのステージに立って、歌って踊っていたTravis Japanは7人で、わたしがずっと見てきた9人とは形がまるで変わって、変わっていないものも確かにあったけれど、変わったものの方が多かったように感じた。それが良い意味でなのか、悪い意味でなのか、わたしは今でも分からないけれど。(分からないんかい)
だけど、やっぱりどう考えても最終的にはTravis Japanというグループが大好きで、楽しくて、かわいくて、応援したいと思った。
横浜アリーナというステージに立って、前にだれもいない一番前の景色を見て、歌って踊っていた7人はキラキラ輝いて、まぶしかった。自担が見られなかった景色を見てくれていた。わたしに見せてくれた。うれしかった。
このとき、9人のTravis Japanから7人のTravis Japanに担降りしたんだと思います。いや、ちがうな、掛け持ちになったんだと思います。
9人と7人はわたしの中で全く別のグループでもあり、全く同じグループでもある、なんとも複雑なグループになりました。(自分でもちょっと何言ってるのかよくわからない)
変わったことの方が多かったのかもしれないけど、それでもTravis Japanが大好きっていう気持ちだけは変わらなかったから今はそれでまあいいかなあって。
「最後の1人までTravis Japan」
この言葉がとってもとっても、泣きたくなるくらい嬉しかった。
自担がTravis Japanを離れた身としては、自担と同じ兄組として、いつもいっしょにふざけて笑って、でも踊らせたら怖いくらい、気持ち悪いくらいダンスを揃える人がそう言ってくれたこと。彼が見られなかった世界を美勇人くんが見てくれると思った。
わたしが戻ってきたとき、彼はすでにTravis Japanではなかったけれど、公演のたびに観に来てくれて、振り付けもしてくれて、美勇人くんはTravis Japanをたくさんたくさん愛していた。
Travis Japanを離れた美勇人くんをゆるせないと思った日もあったし、「最後の1人までTravis Japan」って言ったのに?って責めた日もあったけれど、でもやっぱり何度考えても、どんなに考えても、美勇人くんのこの言葉に嘘はなかったとわたしは思う。いまもそう思う。これからもずっとそう思う。
心のどこかで、もしLove-tuneがなくなっても、もしみんなが退所しても、美勇人くんだけは残ってくれるんじゃないかなんて思ってたけど、叶わなかったね。思ってたけど、ほんとうにそうなるとは一ミリも思っていなかったよ。だって、Travis Japanを離れる覚悟を決めたその時から、美勇人くんのこれからはLove-tuneのメンバーとともにあることを分かっていたから。
「最後の1人までTravis Japan」なんて言葉を発するような人が生半可な覚悟でTravis Japanを離れるわけがないもん。美勇人くんはそういうひとだ。
2018年11月15日。
ひさしぶりに美勇人くんが笑って、しゃべって、動いている姿を見た*2。たったそれだけで泣きそうなくらい嬉しかった。すごくない?たったそれだけだよ。わたしどんだけ美勇人くんのこと好きなんだよ。
「一生遊んで暮らせるお金があったらニートになる?」という質問に、美勇人くんは「ダンスが好きだから、お金があってもパフォーマンスをしていたい」と答えた。
もう分かるよね、泣いた。
ひさしぶりの美勇人くんはなんっっにも変わっていなかった。わたしが大好きな美勇人くんのまんまだったんだもん〜〜〜〜。
2018年11月30日。
いつか来ると思っていたけど、急にきた。ほんとうに急だよ〜困った〜って感じだった。
バイトの休憩中に見て、もう残り3時間お客様に笑顔を向けられないと思った。頭が真っ白で、なんにも考えられなくて、気を緩めたら涙がこぼれそうだった。*3
嵐のように締め作業をして、ひとりで電車に乗ったらもう泣きそうで、迎えに来た母の顔を見たら秒で泣いた。母に向かってずっとこらえていた感情を爆発させた。*4
母、その節はありがとう。
Love-tuneの解散は、森田美勇人くんの退所は、森田美勇人くんがTravis Japanであるということもほんとうに終わりになってしまったのだと思った。
グループを離れても公演を観に来てくれたり、振り付けをしてくれたり、Travis Japanを愛して、関わり続けた美勇人くんが、ついに、ほんとうに、Travis Japanと関わることができなくなる。Travis Japanの森田美勇人くんがほんとうのほんとうに、なくなってしまうと思った。
どんなにかなしくて、どんなにやるせなくて、どんなに悔しくても、わたしはご飯を食べるし、友達と笑うし、授業を受けるし、バイトもするし、インスタも投稿するし、YouTubeも見る。人間として生活する。最近の推し、なすくんはかわいい。
だけど、その合間に、ふとした瞬間に、わたしはどうしてもTravis Japanの、兄組の森田美勇人くんを思い出して、自担とふざけて笑ってダンスを揃える美勇人くんを思い出して、目で追ってしまう美勇人くんのダンスを思い出して、どうしようもなく涙が出そうになった。
どうしようもないことは分かっていて、だけどどうしても夢だと思いたかった。何度考えても、どんなに考えても、変わらないことも変えられないことも分かってしまってつらかった。
かなしいことに、9人のTravis Japanを見ていたときから、「9人であること」は永遠じゃないって分かっていた。永遠に続くなんて思ったことなかった。いつもまばたきしたら消えちゃうんじゃないかって思っていたから、一瞬でも見逃したくなくて毎回毎回これが最後だと思って焼き付けるように見ていた。
永遠に続くと思っていなかったからこそ、ずっとずっと、永遠であれと願っていた。時間が止まって、永遠に解けなければいいのにって思っていた。
自担が退所して、どんなに願っても「9人」はもう一生叶わないことなんて分かっていた。言い方は悪いかもしれないけれど、美勇人くんと顕嵐くんが退所してもしなくても「9人」が叶わないことは変わらない。もっとずっと前からもう叶わなかった。
だけどやっぱり思い出すのは9人だったTravis Japanなんだよなあ。同じところよりも違うところを探した方が早い兄組なんだよなあ。なんでだろうね、それくらい好きだったし、大切だった。今も大好きだし、大切だ。兄組が、そして9人が、青山劇場に集まったのは運命だったし、必然だった。わたしはそう思う。
9人は永遠じゃないことも、自担が退所することも、美勇人くんが退所することも、全部全部、Travis Japanを好きになる前に知っていたとしても、わたしはやっぱりTravis Japanを好きになると思うし、美勇人くんを好きになると思うし、仲田担になることを選ぶと思う。それくらい、Travis Japanに出会えたことはわたしにとっての宝物だ。
たくさん美勇人くんを思い出して、9人を思い出して、兄組を思い出した。怒ったり、泣いたり、かなしくなったり、無理矢理納得しようとしたりした。
一生無理だと思ったけど、納得できました。
「一度仲間になったらずっと仲間だ」
もういつの話だよって感じだけど、むかーし、はじめて好きになったグループから無期限の活動休止メンバーが出たとき、webの連載の最後に書いてくれた言葉。
書いてくれた本人はこの当時の自担ではなかったけれど、わたしはこの日からずっと、だれかが新しいステージへ進むたびに、この言葉に救われてきた。たくさんたくさん救われてきた*5。
ふとこの言葉を思い出しました。
そしたらふっと軽くなった。
美勇人くんの白はのえるくんが受け継いで、これからもずっと美勇人くんがTravis Japanにいた証として守っていってくれる。
美勇人くんが振りをつけたダンスはこれからもずっと、Travis Japanが踊って、守っていってくれる。
だって、一度仲間になったらずっと仲間だから。
Travis Japanはだれかがいた証を消したり、上書きしたりすることなく、全部優しく抱きしめて大切にしてくれる。そういうグループだったなあって思い出しました。
Travis Japanがやさしくて、やさしくて、やさしすぎて、しんどくて、うれしかった。
そこに、美勇人くんが言ってくれた「最後の1人までTravis Japan」と「ダンスが好きだから、お金があってもパフォーマンスをしていたい」っていう言葉が重なって、ようやくわたしの中で着地点が見えた気がした。
美勇人くんが笑顔で楽しく、どんなステージでもいいから、そこに立ってパフォーマンスできるのならそれでいい。わたしがそれを見ることができなくても、それでいい。
たとえそこが青山劇場じゃなくても、帝国劇場じゃなくても、シアタークリエじゃなくても、東京ドームでも横浜アリーナでも日本武道館でもなくても、そこらへんの道端だったとしても、森田美勇人が立って踊れば、そこは彼だけのステージになる。だれもが彼のパフォーマンスに魅了されることをわたしは知っている。
いつか道の先で立ち止まることがあったとして、そのときに美勇人くんの中で青山劇場というステージが、PLAYZONEというステージが、Travis Japanという居場所が、兄組というかけがえのない仲間が、彼を奮い立たせる、背中を押す源になりますように。
わたしはこれからもずっと、森田美勇人くんが大好きで、彼のダンスが大好きだ。
いっぱいいっぱいありがとう!
解散!